2014年11月24日月曜日

ぼちぼち仕事の繁忙期が過ぎたのでちょっと落ち着いた日のこと

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彼女も写真を撮る様になったので、せっかく出かけるなら絶景と呼ばれる様な場所に行きたくなるものだ。
なんでもないシーンを撮影するのも、もちろん楽しい。しかし私たちはなにも家の中でグータラ過ごしているだけではないのだ。どちらかといえば優綺さんの方が出かけるのが好きだが一端外に出れば、二人揃ってまだ見ぬ絶景の情報に胸躍らせるものである。

2014/11/24
心霊スポットでも有名なオタモイ海岸に出かけた。繁忙期につきなかなか逢えていなかったが、前回一緒に過ごせた貴重な一日も私はその90%を睡眠に費やしたのでせっかくの連休はどこかに出かけたいなと考えていた。

北海道の景勝地は11月くらいになると雪の影響を考え事前に通行止めとなる場所が多い。ちょっと行ってみたいなと優綺さんがインターネットで検索した場所の多くはすでに通行止めの状態となっており、移動にかかる時間も考慮して本日は割と近場の心霊スポットをチョイスした。

心霊スポットと呼ばれる場所は、おそらく大半は人が出入りしなくなった場所を指し、またその多くが景勝地であるケースが多い。私の性格的にヤバそうなら帰るので、何も無ければ景色を楽しんで天気の悪くなる前に帰るのだ。オタモイ海岸は、それはそれは綺麗な景色で、岩場特有のクールな感じが気に入った。もしコレが冬場ともなると、とてもじゃないけど滑落するだろう状況だった。ちなみに、明日からこの海岸にでる道は封鎖されるそうだ。

いかんせん昼夜を問わない仕事の形態ゆえ、繁忙期の今は逢うことすら難しい状況だった。いまは少し仕事がひと段落したので、前のように一緒に過ごせる時間が増えてくると思う。

今は、一緒にお腹いっぱいに食べた夕飯の余韻を楽しんでいる。



2014年11月17日月曜日

一ヶ月半ぶりに優綺さんに逢えた日のこと

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優綺さんは、ツーショットの足を撮る。優綺さんが足を撮る時、決まって私は眠っている。カメラを構えると、なかなかツーショットを撮るのが難しいということが恐らく最大の理由だろう。三脚を使えばと言う人もいると思うが、わざわざ一眼レフのカメラを使ってプリクラの真似事をするというのも、いささか面倒な気分になるものである。

2014/11/13
装飾関係の仕事は、概して施設の営業時間外に設営を行うことが多い。そうすると、スタートの時間がそもそも遅いので、深夜にずれ込むケースが多い。この時期はクリスマスの設営が多く、毎日出勤している様な状況だ。現場が続くと、なかなか休みが取れないので、自然と優綺さんに逢える時間が減ってくる。

この日も、朝まで作業して一日時間が空いたという感じだ。作業に入る前に、優綺さんに早起きしてねとだけ伝えて、私の実家で集合した。この日、私が撮影した写真は見事にゼロだ。一緒にいながら、そのほぼ90%に値する時間を私は寝て過ごしたのだ。

優綺さんの証言によれば、私はふと目覚める度にどんな夢を見たか等を話して、話し始めたと思ったらすぐに寝落ちしているというような状況だったそうだ。他意はないが、やはりどんな形であれ一緒に時間を過ごすということは、大事なことなんだ。と、自分をフォローしておこうと思う。

休めるときに休み、逢えるときには逢う。これは、とても重要なことだと理解した。


2014年11月11日火曜日

優綺さんも写真を撮る様になったことについて

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私がしつこく恋人を撮るものだから、恋人も写真を撮る様になりました。

これは、割とよくあるタイプの話だと思う。優綺さんは叔母からCanon EOS KissNを譲り受けて最近写真を撮っている。カメラ暦の浅い私からすると、クラシックなカメラだなと思うこのカメラだが、いまだにFlickrなんかでもこのカメラを使った写真がアップされている。もともとkissはコンシューマー向けのカメラであると認識している。その為か、Flickrで見かける写真も多くの場合でライトユーザーが多い。しかし、このカメラをいまでも使用している人間(Flickrの範囲で)は、概して媚びない。本当に撮るのも見るのも写真が好きなんだろうなと感じる様な、そんな写真を見ることが出来る。つまり、kissの二代目であるこのカメラは、とても愛されているカメラだということが、理解できるわけだ。

今回のアップしている写真は優綺さんが自分で撮影した写真だ。写真を撮るより先に、三脚が必要になると彼女には伝えており、彼女は手に入れた三脚とカメラを現在は有効活用している状態ということになる。

ちなみに、初期費用は近くのおじさんから入手したという500円の三脚(スリックのミドルクラス。これは貰ったに近い)のみとなるわけで、私個人としては「撮るべくして導かれたんだろう」程度に考えている。私は、彼女の写真が好きだ。


最近は、仕事が忙しく優綺さんにあえていない時間が多い。必然的に、私の写真が更新されていない状況が続いている。これはとても寂しいもので、次にあったら常にカメラを構えてしまいそうな気がする。そんな日が続いている中、優綺さんがセルフポートレイトを撮り始めた。今回ブログに挙げている写真はそんなセルフポートレイトの中の一枚となるわけだ。個人的な先入観の中でセルフポートレイトの位置づけというのは、他者からの承認を得る一つの方法、もしくは、自分のことを忘れないでいてほしい等といった自己主張の一つ程度に考えていた。しかし、その認識を今回のこの写真で変えようと思った。
それは、当然この写真が存在する意味の先にいる当事者であるということが大きく影響するわけだが、つまるところ

次ぎ逢えたら、何しよう。

そんなことを考えるきっかけとなる。

それだけを私の記事を見てくれている人に知ってもらえれば、いいのかな。なんて思っている。きっと、どんなセルフポートレイトの場合でも慎重に立ち位置を変えながら一つの写真を見ることが出来れば受け取る面白さは変わってくるんだろう。そんな気がした。