2015年6月4日木曜日

最近のテーブル写真のこと

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仕事で付き合いのある職人さんに、自宅用のテーブルを製作してもらった。
1.2m×2.4mという特大サイズのテーブルは、私たちの生活スタイルに大きく影響している。

写真を撮るか撮られるかという二人の関係は、いつのまにかそれ自体が日常の一瞬になっており約1/100秒の思い出の記録は、いつもさほど変化の無い私たちの日常の様子である。

さてさて、一旦なにかソレっぽい一文を挟んだが、私たちの生活は全て大きなテーブルの上に表れる。忙しければ散らかるし、平和な休日には片付いている。自分たちの内面的な状況を知ることができるテーブルなのだ。

ちなみに、おおよそ居間の半分を占める大きさであるから家で何かを撮るときには避けられないエリアなのである。

少し前から私たちはテーブルの上で何かを撮るということに熱心になっている。
今回は、そんな写真をとりあえず並べてみようと思った。

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仕事の性質上、色々な装飾物に囲まれる場合がある。サンプルとして製作するものは、割合撮影にもすこし使ったりしてみている。写真映えするものが、やはり一番提案の説得力があるし、自分で作ったものを落ち着いて客観視できるのは写真の持つ性質だと思う。

見てもらってわかるとおり、私たちは非常に穏やかに呑気な生活をしている。
確かに多少仕事で忙しいことも多いが、それでも一緒にいられる時間は一番大切だ。

そんな、客観視しても呑気なままでいられたらと切に思っている。

最後に、ごく最近のことで優綺さんがGetty imagesのコントリビューターになった。Getty images は以前までFlickrと業務提携をしており、裏口入学的にFlickrから登録うることができた。昨年くらいにGetty imagesとFlickrの業務提携が満期となり、Getty images側が契約を継続しないこととなった。事実上、裏口入学の廃止である。
しかし、契約満期の頃にフォトグラファーとGetty images間の契約が更新され、私の様なFlickrからの裏口入学者は引き続きGetty imagesのコントリビューターとして写真を投稿できる。
ちなみに優綺さんは後発的に写真を撮り始めたわけなので、正面からの審査となる。以前までは、エディター宛に写真を30枚送るという方法だったが、現在では「Work with us」というコンペティションに投稿し、エディターにピックアップしてもらうのを待つというなんともじれったい方法のみとなっている。
その審査を経て、最近優綺さんはGetty imagesのコントリビューターとなったので二人でゆっくりまったり食費を稼いでいきたいなと思う。

2015年6月2日火曜日

ボチボチ再開しますが不定期です。

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一緒に生活を始めてから、毎日一緒にいるのでどのようなタイミングで更新するべきかと思索しているうちにめっきりこのブログも休刊状態となった。今回再開したきっかけに、先日お会いした遠藤さんの「最近、ブログ更新してないよね。楽しみにしてたんだけど」という一言がある。一人でも楽しんでる方がいるのであれば、記事を書く意味があると思う。そもそも、このブログは田舎の駄菓子屋なのだ。

今回は先日、東京に仕事で出張したときの話。仕事終わりに前々から気になっていたフォトグラファーの遠藤さんにお会いした。彼の写真は私と共通するところがあるが、私は彼の写真を心から尊敬している。ただ単純に綺麗であること以上に、いかに彼が繊細なタッチで写真を描いているかは写真の経験値が高い人ほど理解するんだろうと期待している。

雨の渋谷で合流し、焼き鳥を食べながらカメラ談義に花を咲かせ、私の方は知識も経験も浅いながら背伸びすること無く楽しい会話が出来た。焼き鳥で腹を満たした後は渋谷の街でストリートスナップを撮った。
フォトウォークなるものが、いかにして起こりえるかということに前々から興味を持っていた。それこそ、遠藤さんと私は割合似た写真を撮るがお互い一貫した違いを持つ。それゆえ、同じエリアにいながらにしてそれぞれ立つ位置も、撮影中の体勢も違い、当然撮影する対象も全く違うのである。

「ここから覗くと景色が違うんだ」とか言って自慢の構図を共有することは全くなく、場所の特徴を遠藤さんがとても簡単に話してくれた後は、一つの場所と少しの時間を共有したのみだ。

今回アップロードした写真は、そんな場所と時間を共有した中で偶然同じ人の背中を撮っていたというもの。遠藤さんの方は、今のところFlickrにアップロードしていないので今回は私の写真のみだが、彼はこの人を男性と認識して写真に納めた。私は、この人を女性として撮影した。必然的に、意図する構図も全く違う結果となっている。

同じ場所にいて、同じ人を撮影しているが、撮影者それぞれの感覚で最終的に出てくる写真が全く印象の異なるものだと知ると、いわゆるフォトウォークの楽しみが俄然高まるものだ。それだけ、写真とは個人の価値観や想像力を反映するものだと再認識させられる。

改めて私の写真のありかたを整理するとすれば、私は優綺さんを大好きな恋人であるとして写真を撮っているわけで、二人で過ごすゆっくりとした時間が記録できたらそれで満足なのである。それが写真から伝わらないのであれば、私はまだまだ写真に意味を落し込めていないだけだということだろう。

それ以外の写真は、その時々で撮る意味が変化しているということを最後に追記しておく。