2014年12月28日日曜日

恋人と写真とその他諸々のことについて

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ぼちぼち年末となってきた。年の瀬は、どんな業種でも忙しいものである。例外無く、クリスマスから正月飾りまでを扱う私の職業も例に漏れない。

さて、優綺さんの写真も膨大なストックとなってきた頃に私が写真にのみ使用している1TBのハードディスクもいよいよ満杯となりそうだ。当然優綺さんの写真以外にも様々な写真がハードディスクに収納されているわけで、大掃除と銘打ってストックフォトにアップしていこうと思う。アップしたもの以外は、保管用として何か収納の方法を考えようと思う。

そんなことを考えつつ、人を多く撮っている自分の写真を改めて俯瞰してみた。見返してみると、当初からスナップというポジションに変化は見られない。周りがポートレイトと言ってくれるので甘んじて「私は主にポートレイト撮ってますね」と言ってもいいのかなぁ〜などとくだらないコトを思っていたりする。
素材に何も添加しないという撮影スタンスは、個人の自由という大義によって守られるので特に今後も変化しないだろう。おそらく、今後も可愛い女性を着の身着のまま撮影してはカワイイカワイイと言いながらレタッチするんだと思う。数年後に、本人達が写真を見返して「あぁ、こんなことしたな」なんて笑いながら思って見返してくれれば、私の行動はきっと無駄にはならないと思う。

現在、優綺さんの写真は1万枚を超える。見返しているうちに、そもそも恋人との記憶を残していこうというものであったが、私の様なズボラな性格の人間がこうも素直に続けられているのはもう少し掘り下げた場所に理由があるんだろうと思った。

しかし、特に思い浮かばなかった。

それほど長い時間考えたワケではないが、あんまり明確な理由が浮かばずじまいとなってしまった。あまりに締まりが悪いので、また少し考えた結果「好きこそモノの得意なれ」なんて慣用句を充てがうことにした。ものごとは、シンプルな程楽しいんだと思うし、楽しい程続くのだ。

しかし、1万枚という具体的な数字。それも、かなりの量があるにもかかわらず未だに撮れていない恋人の表情がある。それはそれはいっぱいある。自分だけが知っていながら、撮り逃しているそれらの表情を撮り尽くすことはきっとないんだろうと思う。だからこそ、たとえプリクラだろうと携帯電話だろうと継続して写真を残していく意味があるんだろうと思う。

そんなところで、2014年の総括としよう。

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