2014年4月21日月曜日

季節の変わり目と自分の写真について

D7K_1057.jpg

まだ恋人と過ごしたことの無い季節をこれから迎えるんだと思うと、これから楽しみが増えるんだなという根拠のないワクワク感が生まれてきます。秋と冬を優綺さんと過ごしましたが、その当時の写真と今回撮影した写真とで明らかに受ける印象が違うと自覚しています。

冬の間は、照り返す光の中で撮影するため女性の肌をより綺麗に写すことが出来る様に感じていました。内心、冬だけポートレイト撮れれば良いかと思ったこともありましたが今回春に撮影してみたらコレはコレで非常に好ましい写りかたをしてくれたように思います。雪の下から表面に出てきた枯れた芝の色は暖かく、多少光を強く感じますが秋の様な色の氾濫があるわけでもなく冬の様に景色が分からなくなることも無いという印象です。

話を覆す様ですが、少し前。このブログをまとめ始める前に補正したデータが全て飛び、撮って出しの写真データだけになるという事故がありました。コレと恋人との交際はほぼ同時期だったこともあり、良い転機だと写真の補正を改めて0から組み立て始めました。
もともと女性のポートレイトを頻繁に撮影していたときは無数に作成した補正パターンのなかからフィットするものを選ぶ様な割と能動的な作業でしたが、最近は過去の写真を見返して一枚一枚丁寧に補正しています。

だんだんと時間の経過によって私の価値観も変わってくるもので、補正の土台に上げる写真自体も変わってきています。前は何か切り詰めた様な写真を良しとしていたところがありますが、最近はもっぱら「条件付き合格かな」という・・・・私と恋人の間では「抜けてる」写真を選択する様になってきました。構図は良いけどちょっと表情どうなんだろうといった写真や、画面整ってないけど表情は楽しそうだとか、いわゆる実生活でいうところの「抜け」がある写真というコトです。

何故かと問われると、回答に困るんですがもっぱら他者が見て良いと感じる写真の多くはクオリティーそこそこって写真だったりすることが多く、私たちが時間が過ぎたときに見返す写真というのもそうした「抜け」のある写真の方が楽しいんじゃないかと思うからです。

まぁ、そんなユルユルな記念写真を引き続きストックしていこうかと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿