2014年5月7日水曜日

世界観という言葉が時々充てられることについて

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お花屋さん(厳密には違うけど)になった後でも、時々女性の方から撮影についての連絡が入ります。モデルを募集しているわけではないので、こうしたお願いの連絡が入ることはとても嬉しいと感じています。とくに、最近はそもそも写真が好きだという女性が多く、写真好きな人間が周りに増えること自体が嬉しかったりします。

大体の場合「写真って撮ってもらえるんですか?」という切り出しから始まり、どんな撮影がしたいかを訪ねたりします。私は拘って写真を撮っている方の人間ですが、何か譲れないものがあるわけではありません。どちらかといえば、撮影に入る女の子が楽しんだ記憶にでもなって、それに写真ってオマケがついてくれば御の字程度にしか考えてなかったりするのも事実です。

さて、ときどき「手嶋さんの写真の、独特の世界観が好きで」というフレーズが会話の中に出てきます。単純に自分の写真を認知して、好いてくれていることに対して照れて思わずニヤニヤしてしまうものですが、世界観という言葉に対しては巨大な違和感を感じていたりします。写真を作るのはカメラなりPCであって、映っているのは生物ないし活動なので私が干渉している部分などは非常にわずかだということが、違和感の原因な様に思います。

単純にまとめると、世界観を持っているのは私ではなく写真に映っている方であって「手嶋の写真の世界観」ではまったくないということです。

かといって、反感を感じているということではなく・・・・世界観というフレーズは私の脳内で独創的であるというフレーズに変換され「おぉ、オレの写真はそんな風にみられているのか」なんて鼻が高くなる感じにはなります。

いずれ、記念写真を気張って撮り続けている人。なんて程度に認識してもらえるとハードルも潜りやすい。という程度の話です。

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