2014年6月20日金曜日

どの写真を残すかその選択について

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私的なコトだけど、どんな風に写真を撮るかよりも、どの写真を残すかというコトの方に重点をおいている。最近は特にその傾向が顕著だ。
朝からカメラを持っていれば、だいたい700~1000枚。ちょっと撮るねと言ってカメラをまわしたとしても50~100くらいは撮る。いくら枚数が増えても、割と全部の写真を補正したりする。Lightroomを使っているので、物量はあまり気にならないものだ。とにかく、写真を選択する時間が長い。

それだけの枚数撮影すれば、「これはオーサムだ!いえぇ〜!」というものもあれば「なんだろうブレちまってアホっぽい」というのも当然ある。

その取捨選択も最近はすこし変わってきた様に思う。
以前ポートレイトをしつこく撮っていた頃にFlickrなんかにアップしてた写真を見返すと「あぁ〜、我ながら真面目な青年だ」とフムフムしてしまう。ピントも合っていて、チマチマと調整された露出と整理した構図。あれやってみたりこれやってみたり写真のテイストはマチマチだけど、なんか逝ききってる感もない極めて単調なイメージ。悪いことは全く無いが、いずれ写真のために用意されたシチュエーションであるという印象は拭えない。

う〜〜〜ん真面目だ。

というのも、最近は特に意識して「抜け」のある写真をチョイスしている。「抜け」といっても写真的な意味でのクリアなイメージや画質を差しているワケではなく、実生活における見落としや間抜けを意味する「抜け」である。

「正解の写真」から「良い写真」へパラダイムシフトを行っている状況で、灰汁抜きをシコシコとやっている様な感じ。でも、気楽に写真を楽しんでる実感がある。

私の場合、コレだ!と思った写真から10歩くらい引いたところに「あら、ずいぶん楽しそうね」と後から思える写真があるんじゃないかなと思う。

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